A3:収益事業で稼いだお金を真っ先に社会的課題にかかる経費の充当に回すのが「社会起業家」であり、そのお金を真っ先に自社の社員の給与に充当させるのが「社会貢献企業」です。
前者は社会という広い視座を「公」と考えますが、後者はむしろ「自社の社員」の生活を最優先課題にします。
最近ではNPO法人としてでなく、有限会社や株式会社などのように営利企業として起業し、社会起業家を志す方もいます。
しかし、その多くは「社会貢献型企業」であって、本物の「社会起業家」は少ないのです。
そもそも従来型の企業がすべて「社会貢献型企業」だったり、「社会起業家」であるなら、この2つの言葉は最初から不要であり、注目されなかったでしょう。
では、なぜ今この二つの言葉が盛んに語られ始めたのでしょうか?
60年以上前の第2次世界大戦の敗戦直後なら、焼け野原の土地に残された日本国民にとって切実なニーズは「衣・食・住」(着るもの・食べるもの・住む場所)でした。
それなしには生きられないか、それなしには困ってしまうものを、「ニーズ」(必需品)と言います。
戦後の会社はみな、このニーズを満たす商品やサービスを消費者に提供することで事業を拡大していき、同時に社員には右上がりの年収を保証できていたのです。
つまり、「国民の衣食住を満たす」という社会貢献を行うことそのものが、国民みんなが了解しているニーズだったわけです。
やがて時代は移り変わり、衣食住が満たされれば、今度は「ウォンツ」に応える商品やサービスを売り始めました。
なければないで困らないけど、あったら便利なもの。それが「ウォンツ」(趣味や余興など)です。
日本の企業は「ウォンツ」として、遠くまで自由に早く行けるのに壊れにくい高品質な車・新幹線・飛行機といった乗り物や、女性の家事労働を楽にする掃除機・電気炊飯器・自動洗濯機・エアコンといった家庭用電化製品などを次々に売りに出し、今日では手放せない商品のように感じるまで市場を成長、定着させてきました。
しかし、そのように右上がり成長をしてきた日本経済は、金余りによる借金の増加で右上がり幻想(バブル)がはじけ、90年代前半から低成長時代~世界的な金融ショックによる不況へと下落してきました。
つまり、「ニーズ」や「ウォンツ」を市場の飽和状態まで満たしてしまった今日では、消費者の購買欲をかき立てることはできず、「このままだと生き残れない」と言われるほど経営危機に瀕する業界や会社が増えたわけです。
ここまで来ると、おおざっぱに言って、2つの生き残り戦略しかありません。
一つは、経営にとって一番大きい支出である人件費(給与)を大幅に減らすこと。
もう一つは、困窮した消費者たちの収入を増やして商品を買えるようにすること。
いずれも従来通りの発想のままでは、きわめて難しい問題です。
しかし、そうした時代だからこそ、給与をカットされる不安におびえながらしたくもない仕事をガマンして続けるよりは、勤続年数で自動的に年収が上がっていくという「幸せモデル」から抜け出しても、自分なりのまったく新しいやり方で人の役に立つ働き方がしたいという人が増えてきました。
同時に、財源が縮小して破たんが噂される自治体や、非正規雇用でクビになった若い人材、月給1万円の仕事を強いられている障害者などの存在が「決して他人事ではない存在」として目に入るようになった人も増えてきました。
つまり、お金に困っている人が増えた時代になると、人並みの年収にしがみつくばかりの人生から降りて自分より弱い立場や自分と同じ苦しみで苦しんでいる人たちの抱える社会的課題を解決する人生に修正するか、「お金に困っている人」の役に立ちたいという「社会貢献」の新しい市場の開拓に希望を感じ始めるという2つの生き方が選ばれるようになったわけです。
前者は自分で起業し、これまでになかった仕組みを開発しながら社会的課題の解決に取り組む「社会起業家」になっていきます。
そして、社員を増やすよりも人件費のかからないボランティア・スタッフを社員数の何倍以上も集め、自主事業の収益では足りない部分を補てんするために助成金や寄付、会費などを集め、自分が取り組む社会的課題を訴えるのに有料講演をするなど、さまざまな方法で解決に伴う出費を早めに賄おうとします。
それが実現できるのは、自分が見殺しにすれば困ってしまう人の顔を忘れられず、その切実さを十分に理解し、それを人に伝える時も多くの人から共感を得られるだけの正義があるからです。
一方、「社会貢献」という潜在市場の開拓に希望を見出した後者は、従来型の企業が「金にならない」と放置してしまった社会的課題に対して解決できるだけの収益モデルを開発します。
それは同時に、「どうしても金にならない社会貢献は後回しか、放置する」ことを意味します。
乱暴に言えば、「金になるとふんだ社会貢献だけを手掛ける」ことになるのです。
だから、社会貢献の中身がころころ変わることも珍しくなく、要するに金になるならどんな社会貢献でもいいってことなんですね。
そうした具体的かつ社会的な課題を解決するために、これまでとは違った発想で取り組んだり、困っている当事者(社会的弱者)の痛みを分かち合いながら、弱者と共に対等なパートナーシップで生きていける仕組みを作り出そうと頑張っているのが「社会起業家」なのです。
ですから、既存のビジネスのようなコストをかけない努力をしますし、お金がなければ知恵を働かせたり、人材を広く集めるなどして、ソーシャル・イノベーション(=これまでになかった新しい仕組みを開発すること)を果敢に試みようとしているわけです。
一方、従来の企業の言う「社会貢献」は、社員の給与を右上がりに上げていくための活路を開く「手段」であって、本来の目的ではないため、「社会貢献企業」になっていきます。
「社会起業家」と「社会貢献企業」はそもそも生き方が違うので、どちらかが一方的に優れているとか、「上」とか、「良い」とかという判断はできません。
「人並みの暮らしをしたい」と望むのも個人の自由ですし、既存の企業に勤めながら休日だけ社会起業家としての役割を果たそうとする人すらいますから。
ただし、社会起業家にとって最優先する活動目的は「社会的課題の解決」であり、社会貢献型企業にとって最優先する活動目的は「経営の安定と社員の生活を守ること」です。
その違いは歴然とあり、おのずと優先的に時間やお金、人材を投入する活動内容が違ってきてしまいます。
しかし、現時点ではテレビや新聞の記者たちが取材不足で、「社会起業家」と「社会貢献企業」の区別をつけられないままでいます。
このままでは、貧乏を顧みずに社会的弱者のために人生を賭けて解決に取り組んでいる「社会起業家」と、安定した月給に守られながら儲けられる社会貢献だけをしている「社会貢献企業」をごちゃまぜにされて、すべてが「社会起業」(ソーシャルベンチャー)という枠で語られてしまいます。
両者の差は、収益モデルの作り方の上手・下手では片付けられません。
ビジネスで浮かせた金を真っ先に社員に使うのか、解決費に回すのかという選択は、社会的課題の当事者である社会的弱者を早めに救えるか救えないかを考えれば、大きな違いなのです。
(※解決費の中には最低限度の人件費も含まれますが、ここでは人件費を除いたコストを「解決費」と呼んでいます)
【関連リンク】
→Q12:地元(県内)の社会起業家の団体を探すには、どうすればいいの?
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文責:今一生(社会起業家支援委員会・代表代理/Create Media代表)